12-3013 |
我妹子や 我を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや |
作者不詳 |
布留社 |
写真: 石上神宮にて
Oct. 10 2011
Manual_Focus, Macro Lens35mm, Format35mm
RDPV |
巻12の寄物陳思から。作者不詳。
"私の愛しい人よ。私を忘れないでおくれ。石上の布留川の絶えないように、私たちの仲も絶えることがないと思ってください。"
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奈良には古い社が沢山ありますが、その中でも石上神宮は、古代豪族"物部氏"の祖神を祀り、大和朝廷の三種の神器よりも古い十種の神器を奉って、"大神神社"と並んで最も古い神社のひとつとされています。物部氏は、日本最初の統一王朝の可能性が高い三輪王朝(邪馬台国?)以前にあった大和王の末裔ではなかったかとする説が有力で、大和朝廷が成立した後には、大和政権の軍事を司る豪族として活躍します。そのようなことから、石上神宮はかつて大和政権の兵站基地としての役割も担っており、平安初期に桓武天皇が石上神宮に保管されていた武器を平安京に移したときには、延べ15万7千余人の人員を要したとされます。
また石上神宮は、"泰和四年(369年)に百済王から贈られた"という銘文を持つ「七支刀」を伝えることでも有名です。この太刀は、直刀の刀身の左右に3本ずつ計6本の支刀を持つ特異な形をしていて、日本書紀に神功皇后摂政52年に百済から献上されたとみえる「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると推測されています
2年前にたまたまこの社で写真を撮っておりましたら、いつもは静かな境内に100人ほどの中高生?の団体が突然現れたことに驚きましたが、すれ違うときに気づいたのですが、彼らはなんと韓国からの就学旅行生だったのです。韓国では自国の歴史や文物に関する関心が高く、おそらく百済から贈られたという七支刀を自らの眼で確かめるためにはるばる朝鮮半島からやって来たのに違い在りません。学生たちの直接の意志であるかどうかは知りませんが、少なくともその指導教官たちの意識が高いことが偲ばれます。それに較べると昨今日本の中高生の修学旅行先の一番人気はディズニーランドだそうで、彼我のレベルの違いに愕然とするばかりです。
さて、話を元に戻すことにしましょう。
万葉集では、石上神宮のある布留の地は、既に古色蒼然とした伝説の土地として、現れてきます。次のような歌があります。
07-1111 |
いにしへも かく聞きつつか 偲ひけむ この布留川の 清き瀬の音を |
作者不詳 |
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昔もこのように聞いて、その素晴らしさを思ったことだろうか。この布留川の清らかな川音を聞いて。 |
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11-2417 |
石上 布留の神杉 神さぶる 恋をも我れは さらにするかも |
柿本人麻呂集 |
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石上神宮の布留の神杉が年を経て神になったように、私の恋も永久に続いて、あの神杉のように神々しいものになるかもしれない |
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1111番歌は"いにしえ"が"布留"の序言葉(導入語)になっており、2417番歌も、"布留"が"古い"の掛詞になっています。私見ではありますが、この古留(ふる)という地名は、神が光臨した神が降った土地という意味からきているのではないかと思います。また、古いという和語は、神が"降る"から来ており、2417番歌のように神さぶるところを古いと感じたはずです。したがって、"古い"とは"神々しい"という意味が本来であったはずです。
また、題掲の歌の場合は、"袖振る"と"布留"が掛詞になっており、なおかつ"布留"に"永遠に続くもの"という意味が掛けられています。同様の語法として、巻4の501番歌があります。
04-0501 |
娘子らが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我れは |
柿本人麻呂 |
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布留山の瑞垣が古くからあるように、ずっと私はあなたのことを思っておりました。 |
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万葉の時代に、布留の地を古いと感じる何がしかが彼の地には明確にあったはずですが、今は歌からかすかに知ることが出来るだけです。石上神宮にあったという大兵器倉は?、あるいは布留の高橋は?
それから、物部氏の拠点であったと推定される布留遺跡(現在の天理教会の地下に眠る東西2km南北2kmの古墳期の大遺跡)はまだその頃何がしかの余光を保っていたはずです。柿本人麻呂達はその眼で見ていたはずなのですが・・・。
付記)
平安初期には、彼の地に、六歌仙のひとり僧正遍照が居を構えて、「石上 布留の山べの 桜花 うゑけむ時を しる人ぞなき(遍昭集)」の歌を残しています。
また、後撰和歌集巻十七に、小野小町が石上寺を詣でたときに、日が暮れてしまったので、一夜の宿を借りるために、僧正遍照に歌を贈った物語が残されています。
いそのかみ 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を われに借さなむ |
小野小町 |
世をそむく 苔の衣は ただ一重 かさねばうとし いざふたりねむ |
僧正遍昭 |
古今調の歌ではあるけれども、至極素直な歌いぶりで、小野小町と僧正遍昭の人柄が偲ばれるようです。小野小町は伝説のように取り澄ました冷婦人などではなくて、案外茶目っ気たっぷりの愛想のよい人ではなかったでしょうか。 |
(記: 2012年3月11日) |
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