万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


02-0166 磯の上に 生ふる馬酔木(あせび)を 手(た)折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに 大伯皇女 馬酔木




写真:仲哀天皇陵、馬酔木
Mar. 21 2009
Manual_Focus Macro lens135mm, Format67
RVP100

大津皇子が謀反の罪により死を賜った後、斎宮の任を解かれた大伯皇女が詠んだ歌。"岩のほとりに咲く馬酔木を手折ってあなたに見せたいと思うのだけれども、あなたはこの世にいるとは誰も言ってくれない"という意味。

この歌は、有名な165番歌"うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世とわが見む"の次におさめられています。165番歌と166番歌は対を成しており、この二首は「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬りし時に、大来(大伯)皇女の哀しび傷みて作りませる御歌二首」という題詞があります。
また、この歌の後に、「右の一首(166番歌)は、今案ふるに、移し葬れる歌に似ず。けだし疑はくば、伊勢の神宮より京に還りし時に、路の上(ほとり)に花を見て感傷哀咽してこの歌を作れるか」とあり、その作歌時期に編者から疑義が唱えられています。この点については、おそらく下句の"見すべき君が 在りと言はなくに"の解釈から生じた編者の類推であろうと思われます。すなわち、この歌の前に「大津皇子の薨りましし後に、大来皇女の伊勢の斎宮より京に上りし時に作りませる御歌二首」という題詞のある163-164番歌がありますが、両方の歌に"君もあらなくに"の語句が使われており、その類似性ゆえに、この166番歌は163-164番歌と同じく斎宮より京に上る途上に詠われたと解釈したのだと思います。

02-0163 神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君もあらなくに
02-0164 見まく欲り 我がする君も あらなくに 何しか来けむ 馬疲るるに

なお、この166番歌の"在りと言はなくに"の解釈が微妙です。その主語が馬酔木なのか、特定の人物なのか、あるいは人を特定せずに"誰もあなたがこの世にいるとは言ってくれない"と解釈するのか分かれるところですが、素直に読んで"あなたが生きているとは誰も言ってくれない"と解釈するのが相応しいと思います。
大津皇子と大伯皇女の物語は、すでに万葉の時代に伝説化していました。朱鳥元年(686年)9月9日に天武天皇が崩御したときに、大津皇子は草壁皇子と王位を争っていたため身の危険を察知して、唯一の同母姉である伊勢斎宮にいた大伯皇女のもとに密かに会いに行きます。そのときの歌が有名な105-106番歌です。

02-0105 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我れ立ち濡れし
02-0106 ふたり行けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ

しかし、都に帰ってすぐの同年10月2日に謀反事件が起きてその翌日には大津皇子は処刑されてしまいます。草壁皇子の母の鵜野讚良皇后(後の持統天皇)に謀られたと言われています。大伯皇女はその1ヶ月後の同年11月には伊勢から京に呼び返されており、163~164番歌が詠われたのはこのときです。
その後、大伯皇女は独身を通して都でひっそり生きたようです。15年後、大伯皇女は40歳で亡くなりました。いずれにしても、大伯皇女の歌は、弟を思いやる気持ちに溢れて素直な人柄の偲ばれる秀歌ばかりです。高貴でありながらも、運命に翻弄されて薄幸であった姉弟に、同時代の人々も涙を流したことでしょう。
(記: 2009年5月3日)

トップ頁 プロフィール 万葉の風景 万葉の花 作家の顔 雑歌 相聞歌 挽歌 雑記帳 リンク

万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/5/3 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

inserted by FC2 system