02-0111 |
いにしへに 恋ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の 御井の上より 鳴き渡り行く |
弓削皇子 |
吉野 |
02-0112 |
いにしへに 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし 我が念へるごと |
額田王 |
粟原 |
02-0113 |
み吉野の 玉松が枝は はしきかも 君が御言を 持ちて通はく |
額田王 |
粟原 |
写真: 粟原寺三重塔跡
Oct. 10, 2009
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100 |
持統天皇の吉野行幸に同行した弓削皇子が、額田王に贈った111番歌に対して、額田王が返した歌のひとつ。"吉野の玉松の枝はいとおしいことだ。あなた様のお言葉を持って通ってくるとは"
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粟原(おうばら)を初めて訪れたのは、既に10年ほど前になります。大変勾配のきついところにあって、寺跡は村社八幡神社の裏手に残っていました。かつての粟原寺三重塔の銅製伏鉢(相輪の台座)の銘文から、粟原寺の創建に額田王が係っていたという説(112番歌の解説)があってすでに有名だったので期待に胸を膨らませて訪れたのですが、あまりに狭隘な場所にあるので不思議に思いました。
調べてみると、かつては桜井方面から宇陀盆地に抜ける忍阪街道の沿いにこの寺があって、街道からは山手の崖上にそびえるように白鳳の三重塔が建っているのが見えたと思われます。
実は、初めて粟原寺跡を訪れたこの時、私は不思議な体験をしました。上記の写真と同じ構図で写真を撮ったのですが、写真に丸いシャボン玉のような白い球がプカプカ宙に浮かんでいるのが写っていたのです。私は心霊写真なんかは信じないほうですが、そのときは不思議な気がしました。なにせご覧のように神秘的な雰囲気の漂う霊地なので、もしかしたら、額田王の御霊がお迎えにこられたのかと疑いました。歌精は、私のような凡人に関心があるのかしらん?
それ以来、彼の地を尋ねたときは真っ先に手を合わせて拝むことにしております。アア、南無三!
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(記: 2009年12月1日) |
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