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まそ鏡 かけて偲(しぬ)へと まつり出す 形見のものを 人に示すな |
中臣宅守 |
真榊に掛かる鏡 |
写真: 鏡作神社、おんだ祭りにて
Feb. 19 2006 Manual focus, Lens28-70mm Trebi400 |
"まそ鏡"は"真澄鏡"と書く。平安時代には、"ますかがみ"と発音するようになった。平安末期の歴史書"増鏡"は"真澄鏡"のこと。鏡は神事で榊に掛けて使用するので、"かける"の掛詞になった。この場合は、実際に贈り物が鏡だったのではなかったのかと思われる。まつるとは、目上の人や神にに差し上げるという意味。全体訳は、"心に掛けて偲んでくださいと差し上げる形見の品(鏡)を人に見せないでください。"となる。中臣宅守は、神祇を司る役職にあったが、何らかの罪で738年(天平10年)前後に越前に流された。この歌は、配流地の越前から、妻の茅上娘子に贈ったもの。 |
中臣朝臣宅守と茅上娘子との相聞歌は、恋の歌の多い万葉集の中でも独特の位置を占めています。夫の宅守が実際に流罪になったのですから、恋の華やぎというものはなく、心を切り裂かれるような悲しい歌ばかりです。特に妻の茅上娘子の歌は、聞く者の心を揺り動かさずにはおかない慟哭の歌です。それに対して、宅守の歌は何故か淡々としています。流罪は、政治的なものなのか本人の失敗によるものなのかは不明ですが、総じて諦めの感情に貫かれています。宅守は、次のような歌も詠んでいます。
世の中の 常の道理(ことわり) かくさまに なりに来にけらし すゑは種子(たね)から |
"世の中の当然の道理として、私はこのようになってしまったらしい。自分で蒔いた種によって"という意味です。古い例えで恐縮ですが、"男は黙ってサッポロビール"というところでしょうか。
なお、祭事を行う際に、"真榊(まさかき)"といって、神前に一対の榊を立てて、一方に鏡と勾玉、一方に剣を下げるという習慣が今も行われています。この写真は、鏡作神社のおんだ祭りで立てられた"真榊"を撮ったものです。 |
(記: 2008年7月14日) |
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