万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


13-3236 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を 作者不詳 石田(いわた)の杜




写真: 石田の杜
Nov. 2 2008
Manual_Focus, Lens55mm, Format67
RVP100

宇治から木幡を抜けて山科盆地に入ったところに石田(いわた)の杜がある。歌の意味は、「大和の国の平城山を越えて、山城の綴喜原、宇治の渡し、阿後根の原を過ぎて、山科の石田の杜で、いつまでもこの道を通い続けたいと幣帛を掲げてお祈りして、私は逢坂山を越えていくことだ」というもの。

大和を基点とすると近江に向う道筋は、平城山を越えて山城盆地を北行し、宇治川を越えて木幡から山科盆地に入って、逢坂山を越えていくことになります。古代に畿内の北限は逢坂の関だったので、その手前の石田の杜で、旅人は旅の無事を祈りました。
40年前の写真を見ると、一面の田園風景の中に石田の杜が見えますが、現在は真横に京都地下鉄石田駅があり、バイパス道路と大規模団地に囲まれて、この杜だけが取り残されたような形になっています。写真の手前に見えるのは石橋の跡ですが、既に清流は途絶えて、上流と下流はコンクリートの壁に遮断されていました。かつては、この杜から逢坂山が望めたはずです。なお、藤原宇合卿の歌に、次のような石田に関わる歌があります。
09-1730 山科の 石田の小野の ははそ原 見つつか君が 山道越ゆらむ 藤原宇合
09-1731 山科の 石田の杜に 幣置かば けだし我妹に 直に逢はむかも 藤原宇合

(記: 2008年12月23日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2008/12/23 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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