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哭沢(なきさわ)の 神社(もり)に三輪(みわ)据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ |
檜隈女王 |
泣沢神社 |
写真: 畝尾都多本神社、泣沢の杜
Oct. 5 2008
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100 |
高市皇子がなくなったときに、檜隈女王が詠った挽歌。「泣沢女(なきさわめ)を祀る泣沢神社に神酒を供えて祈ったのに、高市皇子は亡くなられてしまった」という意味。檜隈女王は伝不詳であるが、高市皇子の娘と推定される。
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高市皇子は、壬申の乱で大海人軍の総大将を務めて最大の功績があった人で、母の出自が低いので天皇になれなかったものの、草壁皇子亡き後には太政大臣を務めました。その邸宅は、天香具山の山麓にあったとされ、この泣沢神社の近くにあったと推定されます。泣沢神社のご神体は天香具山の地下水脈から現れる湧水で、今も石葺の井戸が拝殿裏に祭られています。 |
(記: 2008年7月1日) |
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