万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景

雑記帳

はじめまして 2008年8月10日
この5月に万葉集のホームページをはじめました。まだ、プロバイダーの登録はしていないので、閲覧される方は、もうひとつのホームページからリンクで入場される方だけだと思います。当面、試行錯誤しながらの運営していくつもりなので、プロバイダーに登録して大々的にお披露目するには1年くらいかかるのではないでしょうか。
しかし、とりあえず3ヶ月ほどやってみて今思うことは、万葉集は難しい! おそらくこの3ヶ月ほどで、30冊くらいの文献に眼を通したはずですが、ますます分からないところが出てきます。特に初期万葉集は、これはどうなってるんでしょうかね。

万葉集の華といえるのは、当然額田王や柿本人麻呂の初期宮廷歌人だから、彼らに関する歌を中心に写真を撮って、1-2年で完成なんてことも当初考えていました。ところがこれがおそろしく難しい。だいたい額田王がどういう人なのかまるでわからない。それなりに調べたつもりですが、錚々たる学者さんたちが書かれている評伝が、実はどうも怪しい。
額田王は采女という有力な学説がありますが、万葉集を読んでみて、どうしたら額田王が采女ということになるのかがさっぱり分からない。"**王"というのは王族の通称であって、万葉集の表記は統一されているように思います。一説では「薬師寺縁起」に三采女のひとりとして、額田部姫王が記載されているというのがその根拠だそうですが、「薬師寺縁起」の原典(昭和14年の復刻版を古本屋で見つけた)を確認したところでは三采女の尼子娘徳善尼、穀媛娘の記述が詳しいのに比べて、額田部姫王のところだけ、「生一女 十市女」とあるだけです。しかし、薬師寺は持統天皇が大きく係った寺なので、額田王はあえて抹殺されたと考えられそうです。額田王の一子十市皇女は、天武天皇の第一皇女で、天智天皇の継嗣であった大友皇子の后であった人ですから、こんな簡単な記述はありえないのです。だいたい額田王は、記紀から抹殺された可能性があります。持統天皇と藤原不比等ならやりかねない気がするのですが。
それから、真っ先に写真に撮って載せたかった中大兄皇子の「三山歌」。天香具山、耳無山、畝傍山の大和三山を、中大兄・大海人兄弟の額田王をめぐる三角関係にあてて考えるのが通説ですが、原典を読んでみて、この歌の本旨は、天香具山、耳無山、畝傍山の大和三山を、大和(日本)、新羅、百済の三国に充てて考えるほうがすっきりするように思うのですが如何でしょうか。

01-0013 香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき 天智天皇
01-0014 香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し 印南国原 天智天皇
01-0015 海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ 天智天皇

あまりそのような説明がないのですが、オカシイなあ〜。これから朝鮮半島で決死の戦いに突入するという緊迫した状況の中で、軍団の長が恋の鞘当ての歌を言祝ぐことがあるでしょうか? そんなことをすれば、よほどのKYというか、スーダラ社長というか・・・。いったい万葉集はどうなっとるんだ?
ということで、今撮影が止まっています。いろいろ本を読んでみたけれども、わからんところが多すぎる!

ますますこんからがってくるのは、1990年代に出た藤村由加さんの「額田王の暗号」や李寧熙さんの「もう一つの万葉集」などの著述。万葉集に書かれている原文の万葉仮名を、古代韓国語や中国語等で読み解こうという新しい試みで、学会には破天荒ということで無視されています。実際読んでみた印象としては、さすがに李寧熙さんの説は暴論に近いのではないかという気がします。それでも、読んでみてなかなかおもしろい。
おそらく当時の言語状況としては、天皇の周辺に古代中国語、韓国語が当たり前のように話されていた状況があったはずです。特に万葉仮名を創造した文人達は、自由に中国語や韓国語の読み書きが出来たに違いありません。しかし、和歌そのものの役割は、あくまで声を出して言葉で相手に言祝ぐことにあったはずで、その意味では万葉仮名に定着される前の歌そのものは、誰にも理解できる日本語でなければならないと、私は直感的にそのように考えています。特に巻1の雑歌は、皇族の行事の折に歌われる公式なものがほとんどであって、大和言葉でなければならないと考えます。それでなければ和歌を詠う意味がないと思います。
それでも、日常の会話に中国語や韓国語の名詞が使われていたり、単語の意味や音が重なっていたりすることはその当時普通にあってもおかしくないと思います。それは、現代人が英語を日本語の中に数多く挟み込んで使用しているのと同じことでしょう。その意味では、このような新しい見方が正当の学会でほとんど取り上げられていない現状は、少し窮屈な感じがするのですが如何でしょうか。

しかし、このように歌の解釈に時間がかかるとなかなか本来の写真撮影に取り掛かれません。私は写真のホームページを作りたいだけなのですが・・・。だから最近アップしたのは、「万葉の花」ばかりです。これは簡単です。花ををうまく撮ればよいだけだから・・・。でも、柿本人麻呂の歌を撮るのは難しい。歌を実際に読んで、この人は恐ろしく内面が複雑な人だったのではなかろうかと・・・。

しかし、少しずつイメージが頭の中に出来つつあって、秋口くらいからぼちぼち写真を増やしていこうかと考えています。

トップ頁 プロフィール 万葉の風景 万葉の花 作家の顔 雑歌 相聞歌 挽歌 雑記帳 リンク

万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2008/8/10 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

inserted by FC2 system