万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景

トップ頁
プロフィール
万葉の風景
万葉の花
作家の顔
雑歌
相聞歌
挽歌
その他
雑記帳
リンク



 
古代歌謡
会津八一の歌
 


古代歌謡

万葉集は、主に舒明天皇から後の時代に限って、記紀から歌謡だけを分離して成立したものであり、それ以前の時代の歌謡は含まれていません。万葉集の特色は、律令制度による中央集権体制が確立しつつある中で、漢詩の影響を受けて、それ以前の民俗的な歌謡を近代化したところにあります。ですから、舒明天皇以前の和歌を理解するためには、古事記、日本書紀、風土紀などに収められている古い歌謡を読む必要があります。

原典 作者 場所 写真
古事記 宇陀の高城に 鴫なわ張る 我待つや 鴫はさやらず いすくはし 鯨さやる 前妻(こなみ)が 肴(な)乞はさば 立稜(たちそば)の 実の無けくを 扱(こ)きしひゑね 後妻(うはなり)が 肴乞はさば いち榊(さかき) 実の多けくを 許多(こきだ)ひゑね ええ しやこしや こはいのごふそ ああ しやこしや こは嘲笑(あざわら)ふそ 神武天皇 宇陀
古事記 忍坂の 大室屋に 人多に 来入り居り 人多に 入り居りとも みつみつし 久米の子が 頭椎 石椎もち 撃ちてし止まむ みつみつし 久米の子が 頭椎 石椎もち 今撃たば良らし 神武天皇 忍坂
古事記 みつみつし 久米の子等が 粟生には 韮一茎 そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてし止まむ 神武天皇 橿原神宮
古事記 楯並めて 伊那佐の山の 木の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢ぬ 島つ鳥 鵜飼が伴 今助けに来ね 神武天皇 伊那佐の山
古事記 狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 樹の葉さやぎぬ 風吹かむとす 伊須気余理比売 狭井川
古事記 御真木入日子はや 御真木入日子はや 己が緒を 盜み殺せむと 後つ戸よ い行き違ひ前つ戸よ い行き違ひ 窺はく 知らにと御真木入日子はや 腰裳着る少女 幣羅坂
古事記 大坂に 継ぎ登れる 石群を 手遞伝に越さば 越しかてむかも - 箸墓
古事記 さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも 弟橘比売 袖ヶ浦
古事記 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる 倭建命 甲斐国
かがなべて 夜には九夜 日には十日を 御火焼の翁 甲斐国
古事記 倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし 倭建命 能煩野
古事記 命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白梼が葉を 髻華に插せ その子 倭建命 能煩野
古事記 愛しけやし 吾家の方よ 雲居起ち来も 倭建命 能煩野
古事記 孃子の 床の辺に 我が置きし つるぎの大刀 その大刀はや 倭建命 能煩野
古事記 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 王仁 難波津
古事記 ちはや人 菟道の渡に 渡手に 立てる 梓弓檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本辺は 君を思ひ出 末辺は 妹を思ひ出 悲けく そ こに思ひ 愛しけく ここに思ひ い伐らずそ来る 梓弓檀 仁徳天皇 宇治
古事記 天飛む 軽の孃子 いた泣かば 人知りぬべし 波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く 軽太子
古事記 夏草の あひねの浜の 蛎貝に 足蹈ますな あかしてとほれ 衣通王
古事記 君が往き け長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ 衣通王
古事記 隠り国の 泊瀬の河の 上つ瀬に 齋杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 齋杙には鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉如す 吾が思ふ妹 鏡如す 吾が思ふ妻 ありと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ 軽太子
日本書紀 大君の 御帯の倭文服(しつはた) 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに 平群鮪 海柘榴市
日本書紀 石の上 布留を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ ものきわに 大宅(おおやけ)過ぎ 春日(はるひ) 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉盌(たまもひ)に 水さへ盛り 泣きそぼち行くも 影媛あわれ
影媛 北山之辺道 UP
日本書紀 あをによし 乃楽(なら)の谷に 鹿じもの 水漬く辺隠り 水灌く 鮪の若子を 漁り出な猪の子 影媛 奈良山

トップ頁 プロフィール 万葉の風景 万葉の花 作家の顔 雑歌 相聞歌 挽歌 雑記帳 リンク

万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁更新: 2010/8/14 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

inserted by FC2 system