万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


20-4515 秋風の 末吹き靡く 萩の花 ともにかざさず 相か別れむ 大伴家持




写真: 萩の花
Oct. 3, 2010
Manual_Focus Macro Lens135mm, Format67
RVP100F

大伴家持の作歌。万葉集最後から2つ目の歌。題詞に"7月1日に、治部少輔大原今城真人の宅にして、因幡守大伴宿禰家持に餞(はなむけ)せる宴の歌一首"とある。
"秋風が吹いて、萩の花の枝先が靡いている。その萩の花を簪(かざし)にすることもなく、お互いに別れてしまうのだろうか。"

この歌は、有名な万葉集最後の歌(第4516番歌)"新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事"の前の第4515番歌にあたります。大伴家持が因幡守に赴任するにあたって、大原今城真人の邸宅で行われた宴席で、家持本人によって詠われた歌であることが、題詞でわかります。
大原今城真人は、母を大伴坂上郎女、父を穂積皇子とする説が有力で、大伴坂上郎女は、家持の伯母であって、妻の大伴大嬢(おおおとめ)の母親にあたります。極めて近しい親族の間柄だったということになります。
万葉集編纂にあたって、大原今城真人が筆録を担当したとする説があり、この歌の後、天平宝字2年(758年)に大伴家持は因幡守に赴任し、天平宝字6年(762年)に帰京したものの、今度は大原今城真人が天平宝字7年(763年)に上野守として都を出るということがあって、結局両者のすれ違いがもとで万葉集の編纂が途絶えてしまったと考えられています。
家持の父の大伴旅人は、晩年に"指進(さすすみ)の 栗栖(くるす)の小野の 萩の花 散らむ時にし 行きて手向けむ "の素晴らしい歌(巻9-0970)を詠っていますし、臨終の間際に"萩の花は咲いているか"と傍らにいた余明軍に問うたというのはあまりに有名な話です。大伴の家では、萩の花に対して、特に故郷につながるイメージが強かったようです。
(記: 2010年12月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/12/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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