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あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ |
橘諸兄 |
紫陽花 |
写真: 長弓寺の紫陽花
June 29 2008
Manual_Focus, Micro Lens100mm, Format645
RVP100 |
右大弁丹比國人眞人の邸宅で行われた宴会で、左大臣橘諸兄が紫陽花の花に寄せて詠んだ歌。"紫陽花の花が八重に咲くように、幾重にもお栄えください、わが君よ。紫陽花を見る度に、あなたを偲びましょう。"という意味。この"わが君"は、聖武上皇と考えるのが相応しい。 |
この歌が詠われたのは、諸兄への信任篤かった聖武天皇がすでに退位して、孝謙天皇を補佐する藤原仲麻呂が絶大な権力を握っていた頃。この直後の756年(天平勝宝8年)に橘諸兄は左大臣を辞しているので、この歌は退位の意思を暗喩していると思われます。この後、聖武上皇の崩御、諸兄の死と歴史の流れはめまぐるしく動いて、757年(天平宝字元年)には、諸兄の子供である橘奈良麻呂の変が起きます。結局橘奈良麻呂は誅せられて、共謀の罪で丹比國人眞人も処刑されました。
写真は、奈良市西郊の名刹長弓寺の紫陽花を撮ったもの。本当は、橘諸兄の邸宅があったと伝わる井手町で紫陽花の写真を撮ろうと、車で井手町に行ったのですが、生憎相応しい紫陽花が見つかりませんでした。そこで地元の長弓寺を選んだというわけです。なかなかうまくいかないものです。
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(記: 2008年7月14日) |
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