万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


20-4363 難波津に 御船下ろ据ゑ 八十楫貫き(やそかぬき) 今は漕ぎぬと 妹に告げこそ 茨城郡若舎人部廣足 難波津




写真: 大川端、かつての難波津か?
Jan. 10 2010
Manual_Focus, Lens28mm
RDPV

巻20に93首の防人歌が掲載されており、その中の一首。茨城郡は、現在の茨城県東茨城郡ならびに西茨城郡。
「難波の港に御船を下ろし据え、多くの櫓を通して、今こそ漕ぎ出でたとあの人に伝えてください。」

東歌には、東国で直接採取されたもの、東国から朝廷に献納されたもの、そしてこの歌のように、東国人が防人の徭役に就くにあたって詠われた"防人歌"があります。防人は、招集がかかると、国司に引き連れられて、一旦摂津国の難波津に集結し、兵部省の役人の検閲を受けた後、再び難波津から西国に出立しました。
万葉集に収められている防人歌のほとんどは、当時兵部卿として検閲を取り仕切っていた大伴家持が、難波津で採取したものとされており、巻20に93首、それから巻14に数首残っています。
防人歌はその性格上、その出発から長旅、それから難波津での作に限られており、この歌は難波津での出立にあたって詠われたものに違いありません。
若舎人部廣足は、この歌に続けてもう一首次の歌を詠っています。

20-4364 防人に 立たむ騒きに 家の妹が なるべきことを 言はず来ぬかも 茨城郡若舎人部廣足 難波津

こちらの歌では、「防人に出立する騒ぎに、家を守るべきあなたに、生業(なりわい)のことを何も言わないできてしまったなあ」と嘆いています。おそらく、妹は若妻であって、家の仕来たりや田畑のことなどをまだ良くわかっていないので、妹は果たして、自分がいなくなってもちゃんと家のことをしているのかと心配しているのでしょう。
かつて、防人歌は、太平洋戦争の出征兵士と重ねあわされて読まれたことがありました。
(記: 2010年2月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/2/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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