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春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鴬鳴くも |
大伴家持 |
高円の桜 |
写真: 高円野の桜と夕景
Apr. 3 2010
Manual focus, Lens75mm, Format67
RVP100F |
天平勝宝5年(753年)2月23日に詠まれた有名な大伴家持"家居独詠三首"の最初。"春の野に一面に霞がかかっていて、心は物悲しい。夕陽の光の中で、鶯が鳴いている。" |
大伴家持は、天平勝宝3年に越中(富山)の国司の任を解かれて帰京します。新しく少納言の役職を与えられたものの、折りしも中央政界での覇権を目指す藤原仲麻呂と皇族出身の橘諸兄の両勢力の間にあって、その政治的な立場を保つことに苦労したようです。大伴家持は、天皇家草創の時代から、軍事を司ってきた家柄大伴家の家長として、天皇親政を目指す橘諸兄と近しい立場にありましたが、職席上仲麻呂の家で行われた宴会に出席したりもしています。この歌は、そのような状況の中に詠われた歌です。世に"家居独詠三首"と呼ばれて、家持の代表作とされる歌群です。
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23日に興に依りて作る歌二首 |
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春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鴬鳴くも |
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我が宿の い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも |
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25日に作る歌一首 |
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うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも 独し思へば |
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春日遅々として、雲雀正に啼く。 悽惆(せいちょう)の意は歌にあらずは払い難し。よりてこの歌をつくり、もちて締ばれし緒(こころ)を展(の)ぶ。 |
春愁の色の濃い調べですが、おそらくは政治的な保身に心を悩ませる中で、このようなメランコリーな調子が生まれたのだと思います。これらの歌をもって、古今調の萌芽であるとする意見がありますが、独詠という形式が個人の心象を風景に託す叙情歌を誕生させたことは間違いがないので、その意味では古今調の誕生という見方は、あながち当たっていなくはありません。
ただし、詠われている景色は、家持の邸宅のある佐保辺りの極めて狭い範囲を対象として目前のものをそのまま詠っているように思われ、やや理想化されすぎた自然を詠う平安朝の歌とは異なります。実際、これらの歌に詠われている"鶯""竹林""ひばり"は、どこにでもある奈良の点景にしか過ぎないのです。
実は、昨日生駒山に沈む夕陽の撮影をしておりましたところ、日が沈むときに鳥が騒ぐという現象を目の当たりにしました。特に鶯が落陽の瞬間にうるさい位に鳴くことは、初めて知りました。案外、家持は落日に鳥が騒ぐ現象を目撃して、それを素直に詠っただけかもしれません。 |
(記: 2010年5月5日) |
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