万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


19-4260 大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都と成しつ 大伴御行 浄御原宮跡




写真: 明日香の真神原辺り
Sep. 23 2008
Manual_Focus, Lens75mm, Format67
RVP100

壬申の乱で大海人皇子側にあって戦功のあった大伴御行が作った歌。戦後大海人皇子は即位して天武天皇となり、かつての都があった明日香に本格的な都城の飛鳥浄御原宮を造営した。「天皇は、神であられるので、赤駒が腹ばっている田を立派な宮殿にされた」という意味。

飛鳥浄御原宮跡から飛鳥寺にかけては、かつては真神原と呼ばれて、マカミ(狼)が跋扈するところであったといわれています。そこを切り開いて都としたのは推古天皇が最初で、以来舒明天皇、斉明天皇などが代々宮殿を構えました。ところが、天智天皇は都を大津に移してしまったので一時飛鳥は廃都になってしまいました。この歌は、飛鳥に都が復活したことを"神"という表現を使って表現しています。「天皇が神である」という考え方は、このときに初めて現れたとされており、天武天皇が天皇親政による中央集権的な国家を作り上げた最初の人であるとされる所以です。近年、飛鳥の発掘がすすんで、この辺りは当時官衙が林立する場所であったことがわかっています。また、写真中央の緑が天香具山で、やや右に飛鳥寺の本堂の屋根がみえます。浄御原宮は、北に天香具山と飛鳥寺と正対していたことがその場に立ってみるとよくわかります。
なおこの歌は、天武天皇の時代ではなくて、後の持統天皇の時代に藤原京建設の様子を詠ったという説もあるようです。
(記: 2008年11月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2008/11/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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