万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


19-4243 住吉(すみのえ)に 斎く祝(はふり)が 神言(かむごと)と 行くとも来とも 船は早けむ 多治比真人土作 住吉大社




写真: 住吉大社の社殿、初詣風景
Jan. 3 2009
Auto focus, Lens28-70mm
RDPV

民部卿だった多治比真人土作(たじひのまひとはし)が、遣唐使の大使として旅立つ藤原清河を餞する宴で詠んだ歌。「住吉大社にお仕えする神職のお告げにあるように、行きも帰りも船は安全で、速いことでしょう。」という意味。

岩波新書の「遣唐使(東野治之著)」によると、天平時代の遣唐使船は、上町台地の北の「長柄船瀬」から出発しました。住之江は、砂州の裏にできた河口の潟地形の良港でしたが、遣唐使船のような大型船の寄航は難しかったようです。では何故住吉の神が出てくるのかというと、遣唐使船を派遣するのに適当な船居がないので困っていると、住吉大神のお告げがあって「那我良船居」を作ろうと言って実現したので、それ以来、遣唐使船には、住吉神を祀る祠を設けて住吉大社の神主が「主神(しゅしん)」と名乗って乗船したそうです。また、遣唐使派遣の折には、神祇官が住吉大社に使いを出して「遣唐の船居を開く祭」を行い、住吉大社の神主が祝詞をあげたようです。この歌の「神事」とは、まさしく「遣唐の船居を開く祭」の祝詞のことを言っているのです。
ところで、久しぶりに住吉大社を訪れて、面白いことに気がつきました。住吉大社の神殿は、住之江の港の辺に、3つの本宮(住吉三神)が直列に、、もうひとつの本宮(神功皇后)のみが横並びに立っているのです。これらはすべて国宝ですが、なんだか海に展開する船団のような構えですね。ご覧のように、神殿を囲む玉垣は船の縁のように見えます。神殿は、まるで船の甲板上に建てられた屋形のようですね。古代の大型船の大きさはちょうどこんなものだったのではないでしょうか。(http://www.sumiyoshitaisha.net/place/honden.html)
(記: 2009年2月7日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/2/7 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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