万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


16-3841 仏造る ま朱足らずは 水溜まる 池田の朝臣が 鼻の上を掘れ 大神朝臣奥守 東大寺





写真: 東大寺大仏殿、除夜の開帳
Dec. 31 2002
Manual_Focus Lens200-400mm
Trebi400

所謂"戯歌(たわぶれうた)"
"大仏を作るための水銀が足らないならば、ミスが溜まるほど窪んでいる池田朝臣の鼻の上を掘ったらいいじゃないか"

この歌は、3840番歌に対する反歌の形式をとっています。その3840番歌も大変面白い歌なので、ここでは併せて鑑賞することにしましょう。

池田朝臣の大神朝臣奥守を嗤ふ歌
16-3840 寺々の 女餓鬼(めがき)申さく 大神の 男餓鬼(おがき)賜りて その子産まはむ 池田朝臣
寺寺にいてる女餓鬼たちが申すことには、大神の男餓鬼を夫にして、子供を生みたいそうだ。
大神朝臣奥守の報え嗤ふ歌一首
16-3841 仏造る ま朱(そ)足らずは 水溜まる 池田の朝臣が 鼻の上を掘れ 大神奥守
大仏を造る朱(水銀)が足らないならば、窪んで水が溜まりそうな池田朝臣の鼻の上を掘ればいいじゃないか。

巻16は、"由縁ある雑歌"が集められて一巻をなしています。通常"雑歌"とは、宮廷儀式などの歌をさしますが、ここでは"相聞歌"と"挽歌"に対する"その他の雑多な歌"というような意味と解釈されます。この3840番歌の池田朝臣と3841番歌の大神朝臣奥守の掛け合いは、相手を罵倒しあって、まるで現在の漫才のようです。古今集には絶対ない表現で、万葉集に特徴的な歌のひとつでもあるわけです。
3840番歌では、大神朝臣奥守のことを"男餓鬼(おがき)"と揶揄していますが、おそらく奥守はあばら骨が見えるくらいに痩せていて、顔も鬼のように醜く、まるで大寺の仏堂で四天王や仁王に踏みつけられている邪鬼(餓鬼)像に似ていたに違い在りません。
餓鬼という言葉は仏教用語で、一般生活に仏教が普及していなかった奈良時代にあっては、普段の生活の場で使われる言葉ではありませんでした。おそらく、平城京に新たに建てられた大寺院にやってきて、僧侶の講釈を多少聞いた後にでも、風貌怪異な餓鬼像を目の当たりにして、このやり取りが展開されたのではないでしょうか。
餓鬼とは、仏教において、生前の強欲ゆえに死後餓鬼道に堕ちた亡者のことをいい、常に飢餓状態にあるために、その姿はやせ細っています。四天王や仁王に踏みつけられる邪鬼は、餓鬼の一種であって、天部の眷属(配下)でありながら足下に踏みつけられて、常に苦悶の表情をしています。大神朝臣奥守は、所謂"鬼瓦のような顔"をしていたのに違い在りません。

それに対して、やり返したのが3841番の歌。
当時、東大寺の大仏建立に際して、青銅製の大仏の表面に"金"を塗るために必要な"水銀"が不足するという事態が起こっていたようです。"水溜まる"は、池田朝臣の"池"に掛かる掛詞になっていますが、実際には彼の鼻が低くて水が溜まるようだと痛烈なお返しをしています。

ところで、この歌に関する解説書を漁っているうちに、面白いことに気が付きましたので、ここに書き留めておくことにします。
大神朝臣奥守の大神氏は、記紀に詳しい、大変由緒のある家系です。大神氏は、大和一の宮"大神神社"の祭神である大国主命をその祖とする古代豪族で、,崇神朝に大神君姓を賜り、のちに三輪君に改め、さらに天武天皇八年に三輪君を改めて大神朝臣姓を賜り、その子孫が代々"大神神社"の神主を世襲したとされています。大神朝臣奥守の名前は、記紀に見えないようですが、ここで重要なことは、奥守が三輪山を統べる大神氏の一員であったということです。
この時点ではぼんやりした話ですが、面白いお話はこれからです。
奈良県桜井市の聖林寺に、天平時代の仏教美術の最高峰とされる十一面観音立像があり、古来多くの文人墨客の賞賛の的になってきましたが、近年の研究では、この仏像がもともと大神神社の神宮寺である"大御輪寺(だいごりんじ)"の本尊であったものを、明治の廃仏毀釈の折に聖林寺に移されたことがわかっています。
仏教美術の分野の研究によると、この仏像は、奈良時代中期に作成された脱乾漆式で、その技術的な特徴から、造東大寺司系の仏師による造像と考えられています。そもそも、乾漆製の仏像は大変高価で、一般の豪族が購えるものではなく、中央に設けられた官営の"造仏司"の専売特許のようなものでした。奈良時代に"造仏司"として、具体的に名前が現れてくるのは造大安寺司、造東大寺司、造西大寺司など複数存在しますが、圧倒的にその規模が大きく、有力であったものは"造東大寺司"でした。その造仏には特徴があって、まず乾漆像は本尊あるいはそれに準ずる如来、観音像に用いられて、その多くは所謂"張子"の脱乾漆式が採用されています。相貌は、東大寺法華堂の不空羂索観音立像に見えるように、やや厳しい青年から壮年の面持ちをしているという特徴があります。
この聖林寺の十ー面観音立像のほかに、京都府京田辺市の"観音寺 十一面観音立像"、大阪府藤井寺市の"葛井寺 千手観音坐像"などが有名です。これらは、造東大寺司の造仏に特徴的な脱乾漆式の仏像で、実際に拝観してみると、統一した様式で造られていることがよくわかります。造東大寺司は、奈良時代中期の748年に作られ、789年まで存続したとされています。
要するに、大神神社の神宮寺である"大御輪寺"の本尊は、造東大寺司によって造られた可能性が高いわけで、その意味では、大神朝臣奥守の大神氏と東大寺の関係がおぼろげながら見えてくるのです。
さらに考察を続けると、今度は奈良朝におけるの神仏習合の問題にぶちあたります。
日本仏教の大きな特徴として、外来の仏教と日本古来の神道が渾然一体となった神仏習合がありますが、これは、平安時代以降に密教との関係性で生まれたもので、奈良時代はまだその端緒期であり、その例が限られていました。東大寺造営に絡んで、宇佐八幡の神託が下り、東大寺建立を支えたという有名な話がありますが、東大寺に宇佐八幡から勧進した手向山八幡が建立されて東大寺の守護神としたのは749年のこととされており、これが日本の神仏習合の最初とされてます。
奈良の大寺院では、それ以降境内に八幡宮がまつられることが行われましたが、この東大寺の手向け山八幡遷宮のほかは、その多くは平安時代初期にまで下ります。例えば、大安寺八幡の勧進は855年で、薬師寺の休ガ丘八幡のそれは890年頃とされています。、
このように見てくると、大御輪寺の十一面観音の造仏が奈良時代であることは、大変特筆すべきことです。宇佐八幡の東大寺勧進と同じ頃に、既に大神神社でも仏を祭ることが行われており、それが東大寺との関連性でこれが行われていたということなのです。
さらに続けます。実は、大神神社と宇佐八幡の宮司は、姻戚関係にあるということをご存知でしょうか。
5-6世紀頃と想定されますが、大神氏から出て宇佐八幡神を斎いたとされる"大神比義"という人物がよく知られています。その子孫は、代々宇佐神宮大宮司をつとめ、中世の武士集団"豊後大神氏(ぶんごおおがし)"になっていきますが、要するに、この時代の宇佐八幡の宮司は、大神神社の宮司であった大神氏と同族であったという紛れもない事実があるのです。

非常に前置きが長くなってしまいましたが、これらの諸事情を踏まえた上で、先の万葉歌を詠み直してみると、妙に生々しく思えてくるから不思議です。
まず、最初の3840番歌について、池田朝臣は"寺々の女餓鬼が、大神の男餓鬼(大神朝臣奥守)と結婚して、子供生みたいと言っている"とはやし立てていますが、このことは、「東大寺が大神神社と結婚して、一緒になりたがっている」と読めないでしょうか。とすると、それは何のために?
次の3841番歌では、"大仏の塗金用の水銀が足らないのなら、お前(池田朝臣)の窪んだ鼻の上を掘ったらいい"と大神朝臣奥守がやり返していますが、私は、東大寺が水銀を欲しいので、大神神社の宮司である大神氏と近づきたがっていたと類推しています。では、、大神氏は、水銀採掘と関係があったかどうか。ここまでくると、まるで推理小説の世界ですが、私はズバリ、水銀採掘と関係があったと思います。
奈良県の山間部は、東山中から大和高原を南下して、中東部の宇陀から東吉野を抜けて、東は三重県三多紀地区まで、西は紀州の高野山あたりまで、日本有数の水銀採掘の一大鉱脈であることはよく知られたところです。水銀は、古くは丹(に)と呼ばれて、呪術的な朱色の原料として使用されました。大和王朝草創の大王を祭った可能性が指摘される桜井茶臼山古墳からは、200kgにものぼる大量の水銀朱が発掘されて大いに話題になりましたが、初期の大和王朝が三輪山山麓に営まれた理由は、水銀朱採掘とその物流の拠点として、この辺りが最適地であったからという説もあるほどです。柳生の丹生、宇陀、東吉野、伊勢などを後背地に控え、東山中に網の目のように道が通じており、このあたりからは大和川を利用して西国一円に運び出すことができました。万葉集で、「青丹よし」は奈良の枕詞ですが、この青丹とは水銀朱の鉱石のことではないかと推測することも出来ます。
結局、大仏建立に際して、水銀の不足した東大寺は、水銀採掘を束ねる三輪山勢力と関係を取り繕うとして腐心していたという当時の世情があって、この歌が詠われたのではないでしょうか。
そのように考えると、俄然この歌のおかしさが増すように思われます。
(記: 2012年2月5日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2012/2/5 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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