万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


16-3835 勝間田の 池は我れ知る 蓮なし しか言ふ君が 鬚なきごとし 新田部皇子の婦人 勝間田池




写真: 勝間田池から薬師寺を望む
May 4 2010
Manual_Focus, Micro Lens200mm, Format67
RVP100F

題詞に"新田部親王に奉れる歌"とある。また、歌の後に、次のような注記がある。
"この歌はある人が側にいて聞いたものであるが、新田部親王が都から郊外に遊び出でて、勝間田池をご覧になって大いに感じ入って、家に帰っても黙っていることが出来ずに、婦人に「今日遊びに出でて、勝間田池を見たところ、水面に浪が立って滔滔として、蓮の花が輝くようであった。面白さは、腸をちぎるほどで、言葉に出していえないほどあった」と語られたところ、婦人は、この戯歌(歌意は、"私は知っております。勝間田池に蓮の花がないことは。それは、あなたのお顔に髭がないのと同じです。")を詠われて、その後も折に触れて詠われたということだ。"

新田部皇子は、天武天皇の第七皇子で、皇位継承権を持つ高位の皇族の一人でした。平城京に遷都された当時には、既に草壁皇子-文武天皇の直系に連なる首皇子(おびとのみこ)への皇位継承がほぼ既成事実であったので、新田部皇子は天皇親政を補佐する立場で朝廷内に重きを成しました。新田部皇子は天平7年(735年)9月に逝去され、その邸宅跡は、唐招提寺の敷地として僧鑑真に下賜されたという史実が正史に見えるので、おそらくこの歌がやり取りとされたのは、平城京遷都後新田部皇子が30〜40代の壮年時代に今の唐招提寺の場所に邸宅を構えていた頃と推測されます。
さてこの歌は、万葉集の注記にあるとおり、新田部皇子が「今日郊外に遊びに出かけたところ、勝間田池で見た蓮の花は素晴らしかった」と婦人につい漏らしたところ、婦人に「勝間田池には蓮はありません。あなたの顔に髭がないのと同じです。」とこの歌を詠ってやり込められただけでなく、その後もことにつけてこの歌を詠って皇子をからかったとされています。万葉集にもこの歌は、はっきり"戯歌(たわぶれうた)"と断り書きがあります。
察するに、新田部皇子は、遊びと称して別の婦人のところに通われたのに違いありません。それがあまりに楽しくて、見てもいない勝間田池の蓮に例えて「本当に美しかったよ」と家の奥さんに言ってしまったために、嘘がばれてしまったのでしょう。
勝間田池は、現在も薬師寺の西方の小高いところに残っていて、ここから仰ぐ薬師寺の大伽藍と若草山は、奈良の絶景のひとつとされています。
(記: 2010年7月25日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/7/25 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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