万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


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夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ我が来る 妹が目を欲り 秦間満 生駒山




写真: 生駒山
May 4 2010
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100

題詞に"新羅に遣はさえし使人ら別れ悲しびて贈答し、また海路にして情を慟み思を陳ぶ。所に當りて、誦する古歌を併せたり"とある。歌意は、"夕方になるとひぐらしが来て鳴く生駒山を越えて私は参ります。あなたに逢いたいから。"というもの。

奈良時代に、遣唐使とは別に"遣新羅使(けんしらぎし)"というものがありました。文字通り 朝鮮の統一王朝であった新羅に遣わされて日朝の国交を安泰ならしめる役目を負った使節のことで、この歌は、正使を阿部継麿(あべのつぎまろ)、副使を大伴三中(おおとものみなか)とする天平8年(736年)6月の遣新羅使が詠った歌のひとつとされています。この歌には"秦間満(はだのはしまろ)の一首"という注記がありますが、歌の内容から考えて、秦間麿が自ら作った歌ではなくて彼が誦した古歌と考えるのが妥当で、おそらく河内あるいは生駒あたりの歌垣で歌われていた俗謡ではないかと思います。
生駒山は、大阪平野と奈良盆地を南北に遮る高々600メートルほどの山脈にしか過ぎませんが、両方の平野大きく隔てて存在感があります。私はもともと大阪府東郊の"東大阪市"の出身ですが、我が小学校の校歌にも「生駒の峯に降る雪の・・・」という一節がありました。茨城の筑波山、近江の比良山、神戸の六甲山など、山の高さはそれほどでなくても地元住民に親しまれた"ご当地の名山"が各地にありますが、それらと同じく、生駒山は我々にとって大変親しい存在でした。大阪人は、いつも生駒山を東に見て方角を確かめる習慣があります。
さて、この写真は、奈良県側の矢田山丘陵から撮ったもの。右手の光の帯は第二阪奈道路で、生駒山トンネルに入って途切れています。そこから左方向に水平に小さな光が点々と伸びていますが、これが古代の国道にあたる生駒越えの道(現代の国道308号線)で、その光の帯が上昇して写真左ギリギリの稜線鞍部に伸びるあたりが、所謂"暗峠(くらがりとうげ)"です。
(記: 2010年7月3日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/7/3 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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