万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


11-2453 春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ 柿本人麻呂歌集 葛城山と柳




写真: 葛城山麓公園の柳
April 11 2009
Manual_Focus Lens50mm, Format645
RVP100

柿本人麻呂歌集より。"葛城山に立つ雲のように立っても座ってもあなたのことが思われる"という意味。春柳は輪に編んで頭に被ってカズラ(鬘)にするところから、葛城山(かつらぎやま)の枕言葉とする。また、"春柳 葛城山に 立つ雲の"の上句は、"立ちても"にかかる序言葉。

この歌は、最も短い万葉歌として大変有名です。すなわち漢字の原文で表すと10字にしかならないからです。

春柳 葛山 發雲 立座 妹思

所謂「略体歌」と呼ばれる初期万葉歌の形式で表現されています。柿本人麻呂歌集はこの略体歌が多数含まれており、おそらくは漢文に詳しかった人麻呂が、日本語を漢字で表記するため悪戦苦闘したその痕跡に違いありません。略体歌は、中国の音韻を使って表記する万葉仮名ではなくて、漢字に本来備わっている表意文字の機能を使って文字に表そうとしています。ですから、文法と語順が日本語と同じであるにも係らず、助詞が省かれています。字面は漢文と似ているにも係らず、漢文としては全く完結していません。例えば"立座"は漢文では理解できません。和歌の5-7-5-7-7の下句に当て嵌めて、初めて理解できる表現です。
例えば、漢詩としてこの詩を完成させるならば、次のようになるのではないでしょうか。残念ながら私は平仄を良く知らないので、音韻は出鱈目です。

春望柳緑萌 雲發拠葛山 立高楼思妹 座樹下偲遠

ついでに、本来の万葉仮名なら次のようになるのでしょうか。

春柳 葛城山尓 發雲乃 立而毛居而毛 妹乎思曽念

略体歌では、非常に簡潔にその歌意が表現されています。万葉仮名は非常に難しいもので、中国語の音韻を用いて正確に日本語を表記しようとするので、バイリンガル並みに中国語の音韻に慣れ親しんでいないと、これを読み下すことは難しかったようです。実際奈良時代中期に成立した初期万葉集は、その100年後には読むことが難しくなってしまって、宇多天皇が漢文の専門家であった文章博士の菅原道真に命じて再編させたものが現在の万葉集であるとする有力説(山口博著「万葉集形成の謎」)がありますが、それほどでなければ普通は読むことが難しかったのです。その意味では、漢字10文字で完結する人麻呂の略体歌は、人麻呂が自らの歌を、自身の備忘録として略式に記述したものと考えるべきです。作者本人の備忘録であれば、助詞などが省略されていても、読むことに問題はなかったと思います。
なお、それでは何故現代の我々がこの歌の下句を"立ちても座ても 妹をしぞ思う"と読めるのかということですが、万葉集の類型歌に次のような歌があるからです。
秋されば 雁飛び越ゆる 龍田山 立ちても居ても 君をしぞ思ふ
秋去者 鴈飛越 龍田山 立而毛居而毛 君乎思曽念
(巻10-2294、作者不詳)

こちらは、いわゆる万葉仮名で書かれていて、下句は全く同じです。下句の7-7が、当時の慣用表現であったことがわかります。また、"龍田山"の"たつ"が下句の"立ちても"にかかるのも、"立つ雲の"の"たつ"が下句の"立ちても"にかかるのと同じです。
(記: 2009年5月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/5/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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