万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


09-1807 とりが鳴く あづまの国に いにしへに ありける事と 今までに 絶えずいひくる 勝鹿の 眞間のてごなが あさきぬに あをくびつけ ひたさをを もには織り着て かみだにも けきはけづらず くつをだに はかず行けども にしきあやの なかにつつめる いつきごも いもにしかめや もちづきの たれるおもわに 花のごと ゑみて立てれば 夏虫の 火にいるがごと みなといりに 船こぐ如く 行きかぐれ 人のいふ時 いくばくも いけらじものを 何すとか 身をたな知りて 波のとの 騒ぐみなとの おくつきに 妹がこやせる 遠き代に ありける事を きのふしも 見けむが如も 思ほゆるかも 高橋虫麻呂 千葉県市川市真間
手児名霊神堂
09-1808 勝鹿の 真間の井見れば 立ちならし 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ 高橋虫麻呂 真間の井




写真: 千葉県市川市真間
亀井院 真間の井
Jul. 16 2009
Manual focus, Lens50mm, Format35mm
RDPV

真間の手児名(ままのてこな)伝説を詠った高橋虫麻呂の長歌(1807番歌)の反歌。"葛飾の真間の井を見れば、いつもここに立って、水を汲んでいたという真間の手児名のことが偲ばれる。"

手児名霊神堂より50mほど北寄りに、真間の手児名が水を汲んだという真間の井があります。下総の国府があったという国府台の丘の麓に、今も滾滾と水が湧き出ています。真間とは、本来崖のことを指す普通名詞で、かつては、傍の手児名霊神堂あたりまで入江が入り込んでいました。真間の入江は国府の重要な港湾施設でしたから、このあたりは多くの人で賑わっていたに違いありません。ただ今となっては尋ねる人も無く、ご覧のように静かな佇まいですが、粗末な身なりでありながら、容貌輝くばかりであったという真間の手児名が、今突然垣根の向こう側から現れてもおかしくない、そんな雰囲気のする場所でありました。
(記: 2009年8月1日)


トップ頁 プロフィール 万葉の風景 万葉の花 作家の顔 雑歌 相聞歌 挽歌 雑記帳 リンク

万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/8/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

inserted by FC2 system