万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


09-1807 とりが鳴く あづまの国に いにしへに ありける事と 今までに 絶えずいひくる 勝鹿の 眞間のてごなが あさきぬに あをくびつけ ひたさをを もには織り着て かみだにも けきはけづらず くつをだに はかず行けども にしきあやの なかにつつめる いつきごも いもにしかめや もちづきの たれるおもわに 花のごと ゑみて立てれば 夏虫の 火にいるがごと みなといりに 船こぐ如く 行きかぐれ 人のいふ時 いくばくも いけらじものを 何すとか 身をたな知りて 波のとの 騒ぐみなとの おくつきに 妹がこやせる 遠き代に ありける事を きのふしも 見けむが如も 思ほゆるかも 高橋虫麻呂 千葉県市川市真間
手児名霊神堂
09-1808 勝鹿の 真間の井見れば 立ちならし 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ 高橋虫麻呂 真間の井




写真: 千葉県市川市真間
手児名霊神堂(てこなれいしんどう)
観音石像
Jul. 16 2009
Manual focus, Lens50mm, Format35mm
RDPV

真間の手児名(ままのてこな)伝説を詠った高橋虫麻呂の長歌。"吾妻の国にかつてあったこととして、今まで絶えず語り伝えられている葛飾の真間の手児名は、麻の衣に青い襟を付けて、麻を裳に付けて、髪の毛もくしけずるということをせず、靴さえ履かずにいたのだけれども、綾や錦に包んで大切にしている子供も、真間の手児名には及ぶことはない、満月のように欠けることのない美しい顔で花のように微笑んで立っているので、夏の虫が火に飛び込むように、あるいは舟が港に入っていくように、男たちは彼女のもとに寄り集まって求婚したということだが、そんなときに、このままでは私はいかほども生きておられないだろうと何故か自分の運命を思い知ってしまって、波の音の騒ぐ真間の入江に入水して、そこを墓として彼女は永久に臥せってしまったという。古い時代にあったことだが、昨日見たことのように思えることだ。"

真間の手児名の伝説は、この高橋虫麻呂の長歌と反歌(1808番歌)、そして山部赤人の長歌とその反歌(431番歌432番歌433番歌)が有名です。ほぼ同時期の人と考えらますが、山部赤人が中央官僚であったのに対して、高橋虫麻呂は関東の常陸国の地方官吏としての経歴が主で、その作品に関東の伝説をもとにした長歌が多いという特色があります。
真間の手児名の伝説をもとにした高橋虫麻呂と山部赤人の歌を比べてみると、山部赤人の歌が類型的な表現に留まっているのに対して、高橋虫麻呂の歌はより具体的です。粗末な麻衣に青い襟を付けて、裾裳も麻で、髪の毛も梳ることをせず、靴さえ履いていなかったのに、満月のように欠けることのない美しさであったと褒め称えています。山部赤人が言い伝えをもとに都ぶりの作詩を行ったのに対して、高橋虫麻呂は実際に彼女を見た人々に直接取材してこの歌を作ったと考えられます。真間の手児名は、高橋虫麻呂の歌によって永遠の命を得たといえるでしょう。
写真は、手児名霊神堂境内に立つ"石像"。真間の手児名の面影を宿して、やさしいお顔でした。
(記: 2009年8月1日)


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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/8/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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