万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


09-1673 風莫の 浜の白波 いたづらに ここに寄せ来る 見る人なしに 長忌寸意吉麻呂 白浜




写真: 白浜の綱不知湾
Jul. 19, 2010
Manual_Focus Lens50mm, Format67
RVP100F

大宝元年(701年)10月に持統上皇と文武天皇が紀伊国に行幸されたときの歌(十三首)のひとつ。注記に、"右の一首は、山上臣憶良の類聚歌林に曰く、長忌寸意吉麻呂(ながのいみおきまろ)の、詔に応えてこの歌を作るといえり。"とある。
"風莫(かぜなし)の浜の白波は、見る人とてないのに、ただとりとめもなくここに寄せ来ることだ。"

長忌寸(ながのいみき)氏は東漢氏に連なる渡来系氏族と考えられ、持統上皇と文武天皇によるこの大宝元年(701年)の紀伊行幸、あるいは大宝2年(702年)の三河行幸に同行して、いくつかの歌作を残しました。天皇の求めに応じて即興で歌を詠んだり、宴席で歌を詠ったりする専業歌人の役割を担っての随行であり、この歌も求めに応じて即興でその場の景色を詠み込んだものに違いありません。
風莫の浜は、正確な所在は不明で、むしろ"風の無い浜"という一般名詞と考えたほうが良いかもしれません。ただし、紀路歌枕抄(丹羽秀方編、1666年跋)という古本には、風莫の浜は、西牟婁郡瀬戸鉛山村(現在の白浜町)の綱不知(つなしらず)であるとする記述があるそうで、確かにこの歌に相応しい景色の場所です。
紀州路の浜辺は総じて波が荒く、特に白浜半島は外洋に面して波が荒いことで知られていますが、確かに半島の内海の"綱不知湾"だけはご覧のように静かで、特にこの日はささやかな白波さえ立たず、まるで鏡のように静かでした。天皇行幸の御座船は、この綱不知湾に停泊したのに違いありません。
現在この場所には、この歌の万葉歌碑が立てられていて、おもしろいことには、この右手に"網の湯"なる共同浴場がオープン(平成20年、入浴料300円)して、新しい名所になっています。温泉に浸りながら、万葉集に詠われた静かな内海の景色を愛でるというのも悪くないかもしれませんね。


(記: 2010年11月23日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/11/23 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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