万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


08-1629 ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為むすべもなし 妹と我れと 手携さはりて 朝には 庭に出で立ち 夕には 床うち掃ひ 白栲の 袖さし交へて さ寝し夜や 常にありける あしひきの 山鳥こそば 峰向ひに 妻問ひすといへ うつせみの 人なる我れや 何すとか 一日一夜も 離り居て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故に 心なぐやと 高円の 山にも野にも うち行きて 遊び歩けど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを 大伴家持 高円
08-1630 高円の 野辺の容花(かほばな) 面影に 見えつつ妹は 忘れかねつも 大伴家持 高円





写真: 高円野に咲く容花(昼顔)
June 22 2008
Manual_Focus, Micro Lens100mm, Format645
RVP100

大伴家持が、坂上大媛に送った長歌とその反歌。坂上大媛は、家持の叔母で和歌の先生にあたる大伴坂上郎女の娘で、後の家持の正妻。
長歌の意味は、"ねんごろに物想いして言うすべもするすべもありません。あなたと私で手を携えて、朝には庭に立って、夕べには床を清めて、白妙の袖を差し交わして寝た夜は、いつものことでありました。山鳥こそ、山と山と向かい合って妻問いをすると言いますが、この世の私であってみれば、何かと一日一夜でも離れていれば、嘆息して恋しく想うのです。そのことを思えば、心が痛むのです。それゆえに心を慰めようと、高円の山や野に出かけて遊んでみるのですけれども、花だけが美しく咲いているので、それを見るたびに、ますますあなたのことが想われます。どのようにしたら恋を忘れることができるのでしょうか。"というもの。
それに対して反歌は、"高円の野の辺りに咲く容花があなたのお顔に見えて、どうしてもあなたを忘れることが出来ない"という意味。

昼顔の花は、この辺りではどこにでも咲いていますが、やはりこの反歌の素晴らしさを考えると、高円野に咲く昼顔を撮りたいところ。結局、丸一日掛けてようやくこの1枚を撮ってきました。狙いとしては、バックに高円山などの遠景を入れる構図を考えていたのですが、野の花撮りはそう思うとおりにはいかないものです。この1枚が精一杯でした。しかし、昼顔の花は、十代の若い女性のように素朴で健康的ですね。容花(かおばな)というように、撮影で小一時間も付き合っていると、本当に人の貌のように見えてくるから不思議です。
(記: 2008年7月1日)



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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2008/7/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved