万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


07-1218 黒牛の海 紅にほふ ももしきの 大宮人し 漁(あさり)すらしも 藤原房前 黒牛潟




写真: 中言神社よりかつての黒牛潟方面を望む
Jul. 18, 2010
Manual_Focus Lens50mm, Format67
RVP100F

藤原卿作七首のうちの一首。藤原卿は、藤原四卿のひとり藤原房前(ふじわらふささき)と考えられる。いまだ年月などの詳細は不明と題詞にいう。
"黒牛の海の海岸に、紅の色が照り映えている。とりどりに着飾った大宮人達が貝拾いをしているらしい。"

黒牛潟は、和歌山県海南市黒江、舟尾あたりをいい、現在陸地化していますが、この歌にあるとおり、貝拾いができるほどの浅瀬の海であったと推測されます。


周りが山に囲まれて、入り組んだ地形の典型的なリアス式海岸で、黒牛潟と名前がつくほど海の色が黒かったと思われます。
黒牛潟を詠んだ歌が他に数首ありますが、次の柿本人麻呂の歌には"ぬばたまの黒牛潟"とあって、この海の色が枕詞になるほど黒かったことがわかります。

09-1798 いにしへに 妹と我が見し ぬばたまの 黒牛潟(くろうしがた)を見れば 寂しも 柿本人麻呂

貝拾いに戯れる大宮人の色とりどりの衣装は、漆黒の海をバックに照り映えて、殊更美しく見えたに違いありません。大宝元年10月に持統上皇と文武天皇が紀伊国に行幸されたときの歌(十三首)の中に次の歌があります。

09-1672 黒牛潟 潮干の浦を 紅の 玉裳裾引き 行くは誰が妻 作者不詳

"紅の玉裳裾引き行く"のは采女であったろうと思われ、天皇行幸の捧げ歌であってみれば、この女性は天皇の后あるいは想い人のひとりであったのは間違いないと考えられます。結句を"誰が妻"とする詠いぶりは、歌垣の相聞歌などで多用される常套形式には違いありませんが、色の対比が鮮やかでなかなかしゃれています。
なお、写真下のほうに見える牛の銅像の袂から、和歌山県指定名水の"黒牛の水"が湧き出ています。
(記: 2010年9月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/9/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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