万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


07-1100 巻向の 穴師の川ゆ 行く水の 絶ゆることなく またかへり見む 柿本人麻呂 巻向川




写真: 巻向川のせせらぎ
October 10, 2011
Manual_Focus Lens35mm, Format35mm
RDPV

万葉集第7巻の柿本人麻呂歌集から。題詞に「川を詠む」とある。
"巻向の穴師川の川の絶えることのないように、また来て眺めることにしよう"

万葉集第7巻には、柿本人麻呂歌集の出典という注記のある歌が多く収められています。「天を詠む一首」「雲を詠む一首」などテーマ別に編集されていますが、これらの歌は、通常古代の歌謡が二者の応答を前提として成立したという原理から外れて歌そのものの独立性が高く、私見ですが、漢詩のように、テーマをもとに柿本人麻呂が独立した作品として作歌した一群ではないかと考えられます。
さらに、これら巻7を吟味すると、柿本人麻呂歌集からの選出と明記された歌には、この歌が詠われた巻向の景観を詠った歌が多く含まれていることに気がつきます。順番に書き抜いてみると、

雲を詠む
07-1087 穴師川 川波立ちぬ 巻向の 弓月が岳に 雲居立てるらし 万葉歌碑
07-1088 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ちわたる 万葉歌碑
山を詠む
07-1092 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の 桧原の山を 今日見つるかも
07-1093 三諸の その山なみに 子らが手を 巻向山は 継ぎしよろしも
07-1094 我が衣 色取り染めむ 味酒 三室の山は 黄葉しにけり
川を詠む
07-1100 巻向の 穴師の川ゆ 行く水の 絶ゆることなく またかへり見む
07-1101 ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも あらしかも疾き 万葉歌碑
葉を詠む
07-1118 いにしへに ありけむ人も 我がごとか 三輪の桧原に かざし折りけむ
07-1119 行く川の 過ぎにし人の 手折らねば うらぶれ立てり 三輪の桧原
所に就きて思いを発す
07-1268 子らが手を 巻向山は 常にあれど 過ぎにし人に 行きまかめやも
07-1269 巻向の 山辺響みて 行く水の 水沫のごとし 世の人我れは 万葉歌碑

これらの歌を纏めて詠んでみると、これらの歌群は柿本人麻呂によって作られた、"定点観測"による叙景歌であることがわかります。柿本人麻呂は、巻向に実際に住んで、これらの歌を作ったと考える人が多いのはそのためです。
それでは、その定点とはいったい何処なのでしょうか。これらの歌に共通している視点とは、次の3点でしょうか。
 1. 巻向川の流れが聞こえる場所にあり、流れが急で川音が高かった。
 2. 巻向山を仰ぐ場所にあった。
 3. 檜原や三輪山が近かった

まず、候補に挙がるのは、現在JR桜井線巻向駅前にある柿本人麻呂住居跡伝承地。駅前のJA奈良広場に「朝臣柿本人麻呂公屋敷跡」という石碑が建っていますが、残念ながら何らかの根拠があって、この場所に建てられたものではないようです。何らかの伝承があるのならならまだしも、おそらくは、柿本人麻呂が詠った歌に「巻向」を詠ったものが多いことから、同名の駅舎の前に建てられた顕彰碑的なものであると考えられます。
純粋に地理的な位置関係だけで考えると、石碑の所在地は古代の上ツ道に面しており、古代のメインストリート沿いにあたり、柿本人麻呂が住居していた可能性は全く否定できません。現在もこのあたりは、古い住居がひしめいているところで、最近発掘成果が大いに話題になり、邪馬台国の中心地とも比せられる巻向遺跡は、なんとこの真下に当たります。ただし、これらの万葉歌と照らし合わせてみると、現在の巻向川は、車谷を西下してやや南の箸中に落ちており、この巻向駅のあたりは流れていません。
最近の巻向遺跡の調査によると、古墳時代には巻向川は現在よりも北側に流れて、ちょうどこのあたりに流れて、水に囲まれた宮殿を成していたとする説がありますが、正直のところこのあたりともなれば、やや流れはゆるくなり、歌に詠われた情景のように、川音高い巻向川というイメージは湧いてきません。実際もうすこし山に近い、川が急流をなすところに、柿本人麻呂の定点があったと思います。
そのようなことがあるのでしょうか、巻向地区の万葉歌碑のほとんどは、巻向川上流の箸中車谷地区に建てられています。車谷から檜原は、山之辺の道沿いにすぐ近くの位置に在ります。

地図はこちら

車谷は、巻向川沿いに巻向山の裏手に位置する笠地区に向う街道筋にも当たり、街道沿いには大和棟の旧家が多いところです。人麻呂はこのあたりに家を構えていたのでしょうか。

これらの巻向の連作に通じていえることは、人麻呂特有の歌垣などで使われた常套句を踏襲した表現が多いものの、それとは別に、独詠という歌形式から誕生した新しい情感が誕生したことです。この歌の流れは、山部赤人、大伴家持に引き継がれて、平安朝の和歌につながっていきます。
(記: 2011年11月5日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2011/11/5 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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