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古(いにしえ)に 在りけむ人の 倭文幡(しつはた)の 帯解きかへて 伏屋(ふせや)立て 妻問しけむ 葛飾の 真間(まま)の手児名(てこな)が 奥つ城を こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ |
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我も見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児名が 奥城所(おくつきところ) |
山部赤人 |
千葉県市川市真間
手児名霊神堂 |
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葛飾の 真間の入り江に うち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ |
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写真: 千葉県市川市真間
手児名霊神堂(てこなれいしんどう)
Jul. 16 2009
Manual focus, Lens35mm, Format35mm
RDPV |
JR市川駅から北に清閑な住宅街を1kmほど進むと、かつて下総の国府があった国府台の丘陵に突き当たり、その崖下に、真間の手児名に由来する手児名霊神堂と真間の井があります。かつてはこの辺りまで、入江が入り込んでおり、真間の手児名はここで入水死したとされています。
真間の手児名霊神堂は、その縁起によると、文亀元年(1501)に、真間山第七世日与上人の夢枕に霊神(真間の手児名)が現れてお告げを感受されたことから、この地にお堂を建立されて、爾来産み、育て、生きる素晴らしさに歓喜する女神として信仰を集めることになったそうです。
市川市では、真間の手児名の伝説を広く顕彰される活動があって、それが契機となって、市川・真間界隈に、"市川文学の散歩道"が整備されました。地元書道家による万葉集のパネルや市川ゆかりの文学者の顕彰碑が街のあちらこちらに掲げられており、それらを順々に見ていくだけでも楽しい時間が過ごせます。また、2日後の7月19-20日には、"市川ほおずき市"がこの手児名霊神堂を中心に行われるそうで、既に祭り用の提灯が境内のあちこちに掲げられていました。今も、真間の手児名は市川市民に身近な存在なようです。 |
(記: 2009年8月1日) |
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