万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


03-0415 家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ 聖徳太子 片岡山




写真: 達磨寺方丈と片岡山
Sep. 28 2008
Manual_Focus, Lens75mm, Format67
RVP100

聖徳太子唯一の万葉集歌。万葉集の題詞には、聖徳太子が竹原井(大阪府柏原市高井田)に出かけられたときに、龍田山で行き倒れになっている人を見つけて、悲しんで詠んだ歌とある。「家に居たならば、妻の手を枕にしているであろうこの死人は、草を枕に旅の途中に倒れてしまった。ああなんと哀れなことであろうか。」という意味

聖徳太子には、「片岡飢人伝説」というこの万葉集歌とよく似た話の伝説があります。日本書紀によると、聖徳太子が片岡山に遊行した時、飢えた人が道に臥していたので、名前を問うたが答えない。太子は飲み物と食物を与え、衣を脱いで覆ってやり「安らかに寝ていなさい」と語りかけて、次の歌を詠みました。
しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こ)やせる その旅人(たびと)あはれ
親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て臥せる その旅人あはれ
翌日太子が使者にその人を見に行かせたところ、飢人はすでに死んでいました。太子は大いに悲しんで、亡骸をその場所に埋葬しました。数日後、太子は「あの人は普通の者ではない。聖人に違いない」と語り、使者に見に行かせて墓を確認させたところ、棺の中には屍も骨もなくなっていて棺の上に衣服だけがたたんで置いてありました。太子はその衣をいつものように身に着けたので、人々は大変不思議に思い、「聖(ひじり)は聖を知るというのは、真実だったのだ」と語ってますます太子を畏敬したとあります。万葉集と異なるのは、場所が龍田山から片岡山に変わっていることです。
片岡は、聖徳太子の息子の一人片岡王の拠点があったところで、かつて片岡王寺という古代寺院があったことが発掘調査で分かっています。聖徳太子が拠点にしていた斑鳩〜龍田に対して、大和川をはさんで正対し、奈良盆地の軍事上の重要拠点であったところです。
現在、片岡王寺末流の達磨寺が彼の地に残り、片岡飢人伝説はその後が付け加わって、その消え去った飢人は、達磨の生まれ変わりであって、聖徳太子がその墓跡に自ら刻んだ達磨の木像を安置して寺を建立したことが達磨寺の始まりということになっています。
(記: 2008年11月3日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2008/11/3 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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