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あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり |
小野老 |
平城宮跡
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写真: 朱雀門前から大極殿を望む
Nov. 14 2009
Manual_Focus, Micro Lens105mm, Format67
RVP100 |
大宰府の小弐であった小野老朝臣('おののおゆのあそみ)が、奈良の都に上ってその盛況を詠った歌。歌意は「青や丹色で飾り立てた奈良の都は、まるで咲く花が匂い立つように今が盛りです」。大宰府に帰ってきて宴会で詠ったと思われる。
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平城京遷都1300年記念事業として進められていた大極殿の復元工事がこの10月にほぼ完成して、その覆い屋が取り払われました。大極殿の大きさは、高さ約27m、幅約44m、奥行き19.5mあるので、奈良は建物が低いこともあって、遠いところからもその威容を見ることが出来ます。ちなみに、東大寺大仏殿の大きさは、高さ48m、幅57m、奥行き50mなので、大極殿は東大寺大仏殿の半分くらいの大きさでしかなかったことになります。東大寺を建立された聖武天皇の頭の中では、天皇の居ます大極殿よりも、大仏の鎮座する大仏殿のほうが遥かに位が高かったのかもしれません。ちなみに、東大寺大仏殿の大屋根は、奈良西郊の我が家(西大寺)辺りからもはっきり見ることができます。
さて、現在は写真のとおり朱雀門と大極殿の間に遮蔽物はありませんが、奈良時代には大小の建物が所狭しと建ち並んでいたので、朱雀門から大極殿を直接見ることは出来ませんでした。朱雀門と大極殿の直線距離は800メートルほどで、その間に朝堂院と大極殿院という大きな区画が二つありました。さらに2つの門を経ないと大極殿に到達することが出来ませんでした。
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(記: 2009年11月22日) |
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