03-0315 |
み吉野の 吉野の宮は 山からし 貴くあらし 川からし さやけくあらし 天地と 長く久しく 万代に 変はらずあらむ 幸しの宮 |
大伴旅人 |
宮滝 |
03-0316 |
昔見し 象の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも |
大伴旅人 |
宮滝 |
写真: 吉野宮滝、桜木神社境内を流れる象(きさ)の小川
Nov. 6, 2010
Manual_Focus Lens105mm, Format67
RVP100F |
題詞に"暮春の月、吉野の離宮(とつみや)に幸(いでま)せる時に、中納言大伴卿、勅(みことのり)を奉りて作る歌一首、併せて短歌、未だ奏上に至らぬ歌"とあり、その短歌にあたる。吉野離宮を言祝いだ儀礼歌。
"かつて見た象(さき)の小川を今来て再び見てみたならば、いよいよ清らかになっていたことだ"
|
大伴旅人が聖武天皇の吉野行幸に同行して作った歌で、かつて持統天皇の吉野行幸に付き従った時を偲んで詠ったとされています。長歌が吉野宮滝の離宮を言祝いで詠っているのに対して、この短歌では離宮前に広がる吉野川の淵(夢のわだ)に流れ込む対岸の小川(象の小川)の清流を詠っています。象の小川は、吉野山の主峰である青根ケ峯から発して、喜佐谷を流れ降りて、現在の桜木神社あたりで、美しい渓谷を成していました。
宮滝にあったという吉野離宮も、貴族が遊んだという夢のわだも、この象の小川も、今は自然に帰ってしまって、かつての有様を偲ぶことが難しい状況ですが、藤原-奈良時代にかけて、王族の別荘地として素晴らしい景観を誇っていたのに違いありません。
大伴旅人は、60歳代に大宰府の長官(太宰帥)を務めていたときに、かつての吉野行幸を偲んで、次の歌を詠んでいます。
03-0332 |
我が命も 常にあらぬか 昔見し 象の小川を 行きて見むため |
大伴旅人 |
宮滝 |
歌意は、"私の命は永遠であってくれないものだろうか。かつて見た吉野離宮の象の小川を再び訪ねて見たいから"というものです。晩年の大伴旅人は、大和望郷の歌を数多く詠っていますが、そのいくつかは、青春時代をすごした飛鳥や吉野の景色でした。
03-0334 |
忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため |
大伴旅人 |
天香具山 |
06-0969 |
しましくも 行きて見てしか 神なびの 淵はあせにて 瀬にかなるらむ |
大伴旅人 |
飛鳥川 |
06-0970 |
指進の 栗栖の小野の 萩の花 散らむ時にし 行きて手向けむ |
大伴旅人 |
明日香 |
|
(記: 2011年1月1日) |
|
|