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佐保過ぎて 奈良の手向けに置く幣は、妹を目離れず 相見しめとぞ |
長屋王 |
歌姫街道 |
写真: 歌姫街道沿いの添御懸坐神社
May 4, 2010
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100F |
題詞に"長屋王の馬を寧楽山に駐めて作れる歌二首"とあり、その第一首。
"佐保を過ぎて、奈良山の峠に手向けとして置く幣には、早く帰ることが出来て、妻と離れずいつも逢える様にしてほしいと願ったことだ。" |
奈良の平城宮大極殿から北に1kmほど行くと、既にそこは大和と山背の国境にあたり、この添御懸坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)があります。平城宮裏から北にまっすぐ伸びる歌姫街道沿いにあって、かつて、このあたりで幣(ぬさ)を置いて、旅の無事を祈る"手向け"という習慣がありました。
中世には、むしろ東大寺転害門から北に伸びる奈良街道のほうが、京都方面に向う街道として盛んになりましたが、この時代においては歌姫越えも盛んに使われていたようです。歌姫街道は、国境を隔てる奈良山丘陵が最も低くなっている箇所を通るので、平城京建設にあたって木材を大量に運ぶのに都合が良かったのに違いありません。
実際この歌姫街道を木津川側から歩いてみると、ほとんど勾配を感じないなだらかな坂を上がるとこの神社に達して、その後は平坦なだらだら道を1kmほど行くと、直接宮域に入ることが出来ます。
ただし、近年の発掘調査では、平城京建設の後平城宮の北に松林苑と呼ばれた広大な離宮が建設されたようで、現在の歌姫街道の添御懸坐神社から南側は、その松林苑に飲み込まれてしまうので、奈良時代の歌姫越えは、歌姫街道のすぐ西にかすかに残る"渋谷越え"の古道ではなかったかとする説もあります。 |
(記: 2010年7月25日) |
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