万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


02-0228 妹が名は 千代に流れむ 姫島の 子松が末に 苔むすまでに 河辺宮人 姫島
02-0229 難波潟 潮干なありそね 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも 河辺宮人 姫島




写真: 姫島神社
Jan. 10 2010
Manual_Focus Lens28mm
RDPV

作者の河辺宮人は伝不詳。河辺宮に使える官人と考えられる。題詞に、"和銅4年歳次辛亥、河辺宮人、姫島の松原に嬢子の屍を見て悲しび嘆きて作る歌二首"とあり、その一首目にあたる。
「あなたの名は、千年の後まで伝えられることでしょう。千代の流れがあるという姫島の松が年老いて苔むすほどに」

姫島は、西淀川区の新淀川河畔の北側にあって、江戸時代頃には所謂"大和田街道"沿いの一集落であったようです。実は、私の母方の出生がこの姫島で、2-3歳のころまではこの辺りで暮らしていたそうです。聞き伝えでは、母の実家は明治初期に広大な田地を彼の地に所有していたそうですが、明治末期に行われた新淀川開鑿でそれらの土地はすべて召し上げられてしまって、交換で得たその対価も、道楽者の曾爺さんのせいで昭和初期には夜露のように消えていたそうです。まあ、どこにでもある我が家の昔物語ですね。
姫島の地は、古代には難波潟にあった島のひとつとされています。姫島にかかる掛詞の「千代に流れむ」は、姫島が、かつては淀川下流のデルタ地域にあって、水の流れが複雑に入り組んでいた地形を物語っています。
姫島神社に祀られている阿迦留姫命(アカルヒメノミコト)は、記紀によれば、天之日矛(アメノヒボコ)の妻で、夫の暴力に耐えかねて、朝鮮半島の新羅から九州を経由して姫島に逃げてきたそうです。天之日矛は、妻の阿迦留姫命を追ってきたものの、渡しの神(住吉神)に遮られたので、但馬に留まったと伝えています。なお、大阪府東成区に残る比売許曾(ヒメコソ)神社も、同じく阿迦留姫命の伝承を残しています。
記紀に面白い記述があって、阿迦留姫命は赤い玉から化身した美しい女性で、ある女性が沼のほとりに昼寝をしていたときにその陰部に日光がさして懐妊して赤い玉は産み落とされたとしています。阿迦留姫命の伝承には、太陽信仰のにおいがあります。また、姫島神社の社伝では、阿迦留姫命は機織の神様とされていて、そのことからおそらく古代の姫島は、渡来人によって開鑿された物資を東西に運ぶための港のひとつだったのではないかと推測されます。
この歌の類型歌としてよく知られた歌に、柿本人麻呂の220番歌があります。人麻呂は、かつて旅の途中、狭岑島(坂出市多沙弥島)の浜辺で名もなき者の屍を見つけて次の歌を詠みました。

02-0220 玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 那珂の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く 鯨魚取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは 柿本人麻呂

この姫島の歌は、この柿本人麻呂の挽歌を踏まえて、作られた可能性があります。
ただし、姫島の歌を解釈するとき、題詞を尊重して"姫島の松原で見かけた屍の嬢子(むすめご)の名前は千代に伝えられるだろう"とする解釈と、この姫島神社の阿迦留姫命の伝説をもとに、"伝説の阿迦留姫命の名前は千代に伝えられるだろう"とする解釈の2通りがあります。姫島神社に立てかけてある案内板は、後者の説を採っていました。
題詞を尊重して筋どおりに解釈するならば、第一の説が妥当なところですが、実際に彼の地を訪れてみて、阿迦留姫命の伝説と土地の由縁を知ると、第二の解釈も捨てきれないように思うようになりました。
この場合、第一句の"妹"は、阿迦留姫命であり、第二句の"妹"にあたる"姫島の松原で見かけた屍の嬢子(むすめご)"は、かつて彼の地に住まったという伝説の阿迦留姫命が、屍の形で姿を現したということになります。すなわち、"伝説の阿迦留姫命の名前は、千代の流れがあるという姫島の松が年老いて苔むすほどに千年の後まで伝えられるでしょう。それなのに、姫島の松原で屍として幻のごとく姿を現したあなたを見ることは悲しいことだ。難波潟には潮干というものがあってほしくない。沈んでしまったあなたの姿を見るのはつらいから。"と解釈できます。このほうが、姫島の地の伝承が深く読み込まれていて、実際にその地で見たという屍を悼む気持ちが深いように思います。
なお、文学的想像をめぐらせると、もしかしたら、彼の地で阿迦留姫命が果てたとする伝説なるものがあったのではないでしょうか。そうすると、もっと劇的に解釈できるようになります。例えば、天之日矛に追われた阿迦留姫命は、この姫島の地で自ら身を投げて水死してしまったとしたら・・・。
ただ、朝鮮半島から死に物狂いで追いかけてくるぐらいだから、阿迦留姫命は、チェジウ真っ青の凄まじい美人だったのでしょうね。
(記: 2010年1月17日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/1/17 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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