万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


02-0201 埴安(はにやす)の 池の堤(つつみ)の 隠り沼(こもりぬ)の ゆくへを知らに 舎人は惑ふ 柿本人麻呂 埴安池跡




写真: 埴安池跡、畝尾坐建土安神社
Oct. 5 2008
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100

高市皇子が亡くなったときに、柿本人麻呂が作った挽歌。万葉集中最長の長歌の反歌2首のうちのひとつ。高市皇子の邸宅は埴安池の辺にあった。「高市皇子の邸宅のある埴安池の堤の隠れ沼の出口がないように、舎人は行方も分からず途方にくれています」という意味。

高市皇子は、壬申の乱で大海人軍の総大将を務めて最大の功績があった人です。母の出自が低いので天皇になれなかったものの、草壁皇子亡き後には太政大臣を務めました。柿本人麻呂の長歌は、万葉集中最も長い長歌で、壬申の乱の迫真の描写は、数多い人麻呂の挽歌の中でも白眉とされています。この歌は、その反歌のひとつで、高市皇子の邸宅の近くにあった天香具山麓の埴安池を詠っています。現在、埴安池は跡形もなく、池の跡とされるところに、八釣地蔵とこの畝尾坐建土安神社があります。
(記: 2008年11月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2008/11/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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