万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


02-0091 妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを 中大兄皇子 生駒山
02-0092 秋山の 樹の下かくり 逝く水の 吾れこそ 益さめ 御思ひよりは 鏡王女 忍阪




写真: 鏡王女押坂墓の前を流れる清流
Apr. 18 2010
Manual focus, Micro Lens 135mm, Format67
RVP100F

天智天皇が詠った91番歌に対する反歌。"秋山の木々の下を隠れて流れる水のように、私の姿はあなた様からは見えませんが、お慕い申し上げる私の気持ちのほうこそ増すばかりです。あなた様のお思い下さるお気持ちの何倍も。"

鏡王女は、有名な額田王の姉ではないかとされる人物です。鏡王女の詠う歌は、短歌ばかり僅か四首にしか過ぎませんが、いずれも物語を孕んで興味が尽きません。
この歌は、中大兄皇子と鏡王女が交わした相聞歌で、大化改新の後、孝徳朝の難波宮にあった中大兄皇子が贈った歌に対して、大和のいずれかの地に居たであろう鏡王女が返した歌と思われます。中大兄皇子の詠った"大嶋の嶺"は、山が連なるというその連想から、通説にあるように"生駒連峰"を指すと思われます。まだ後宮制度が未整備であった時代で、皇族同士であっても離れ離れに暮らしていて、逢瀬の場合には皇子が大和に通う間柄であったようです。
鏡王女の相聞歌には、ひとつの特徴があります。この92番歌では、"あなたの思いよりは私のほうの思いが増している"と言い、その後の93番歌では、"あなたの名前は上がるかもしれないが、私の名前は下がってしまう"と詠っています。また、額田王との相聞で知られる489番歌では、"風をも恋するというあなたはうらやましい。私は風さへ来ない"と嘆いています。
相手と競う比喩が多く、"私こそ"というその詠い振りから、多少我の強い恨みがましい性格というべきでしょうか。
彼女は後に、皇族であるにも係らず、中大兄皇子から臣下の中臣鎌足に与えられてその妻となるわけですが、もしかしたらそういうところが災いしたのでは?
 
02-0092 秋山の 樹の下かくり 逝く水の 吾れこそ 益さめ 御思ひよりは 鏡王女
02-0093 玉櫛笥 覆ふを安み 明けていなば 君が名はあれど 吾が名し惜しも 鏡王女
04-0489 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ 鏡王女

(記: 2010年5月5日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2010/5/5 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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