万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


01-0069 草枕 旅行く君と 知らませば 岸の埴生に にほはさましを 清江娘子 住吉大社




写真: 住吉大社の和歌占おみくじ
Jan. 3 2009
Auto focus, Lens28-70mm
RDPV

長皇子が住之江に遊んだとき、長皇子が詠った歌(巻1-0065)に返して、一夜の愛を語った清江娘子(すみのえのをとめ)が詠った歌。「ああ、旅の貴人と知っておりましたなら、住之江の岸の埴生(はにふ)で衣をお染めしましたのに」という意味。古代には、埴生染め(はにふぞめ)といって、衣を特殊な粘土質の黄土で染める染色法があった。住吉辺りは、この埴生で有名であった。

実に30年ぶりに住吉大社へ初詣に行ってきました。住吉大社は摂津一宮とされ、大阪で知らない人がないほどの有名な神社ですが、万葉集に多く読まれた場所であることは意外に知られていません。この歌は、長皇子のあられ松原の恋歌(巻1-0065)の反歌として詠まれたもので大変有名です。作者の清江娘子は、長皇子の歌では弟日娘女(おとひをとめ)となっていて、住之江に住まう遊女だったようです。当時、この辺りは瀬戸内の物産が船舶を利用して集まる交通の要所でした。
万葉集の貴族の歌には、よく遊女が出てきますが、古代の遊女はいったいどのようなものだったのでしょうか。江戸時代の吉原のような一大歓楽地がその当時あったとは思えませんが、港町や交通の要所に、流浪民や孤児の女性を集めた遊女屋のようなものがあったのでしょうか。皇族を相手にするほどですから、教養の高い渡来人の別れだったのでしょうか。住之江には、外国の要人を迎えるための公式の迎賓館があったとされるので、要人を迎えるためのコンパニオンみたいなものだったのでしょうか。
この写真は、住吉大社で発見した「和歌占おみくじ」。早速引いていたら、次のようなことが書かれていました。風流な住吉の神様は、和歌でお告げをなさるんですね。

第30番吉歌占
はるの夜の 月は霞に見えねども いほいは高い 園の梅が香
此の心は 貴人にもりたてられ おぼろのそらはれ 月のあきらかなるごとく りつしんすべし

(記: 2009年2月7日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/2/7 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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