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古の 人に我れあれや 楽浪の 古き都を見れば 悲しき |
高市古人 |
近江古京 |
写真: 南滋賀町廃寺跡
May 1 2009
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100 |
題詞に、「高市古人、近江の旧都を悼みて作る歌」とある。"私は果たして近江の都が栄えた時代の人では無いのに、滅んでしまって荒れた旧都を見ると悲しいという気持ちが沸き起こってくる"という意味。「或る書に曰く高市連黒人といえり」という後記がある。 |
高市連黒人(高市古人は、高市連黒人のことと思われる)は、"旅の歌人"という異名があり、その歌はすべて大和以外の旅先でその土地の景色を詠ったものです。この歌は、既に滅んでしまった近江古京を懐かしんで詠われており、その配列の前後関係から、柿本人麻呂が詠った29〜31番の所謂"近江荒都歌"のやや後のことと考えられます。
近江京は、昭和49年の発掘調査で現在の錦織地区にあったことが分かっています。現在は閑静な住宅街に変わってしまってその名残はなく、小さな遺跡公園が住宅街の中に点在するのみです。ただ、その北辺に明治になって建てられた近江神宮と、そのさらに北の畑の中に"南滋賀町廃寺跡"(写真)があって、塔礎石が残ります。
南滋賀廃寺は、文献上の記録がないものの、内裏の北に位置して川原寺式の伽藍配置を持ち、近江京の重要施設であったことが偲ばれます。実際にその場に立ってみると、琵琶湖畔の唐崎辺りが眼下に見渡せて、絶好の場所であったことが分かります。かつてこの辺りは、百済亡命の渡来人達がもたらした最新の大陸式文化で埋め尽くされていたに違いありません。 |
(記: 2009年6月1日) |
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