万葉の故地を写真で巡る 万葉の風景


01-0029 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの 御代ゆ 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え  いかさまに 思ほしめせか 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも 柿本人麻呂 近江古京
(弘文天皇陵)
01-0030 楽浪(ささなみ)の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の舟 待ちかねつ 柿本人麻呂 近江古京
(唐崎)
01-0031 楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも 柿本人麻呂 近江古京
(唐崎)




写真: 唐崎の大わだ
May 1 2009
Manual_Focus Lens75mm, Format67
RVP100

柿本人麻呂の長歌(29番)、所謂"近江荒都歌"の反歌のひとつ。"志賀の大わだが淀んで、人が来るのを待っているが、昔の人に再び逢うことは出来ない"という意味。

この写真は、唐崎から北に面する大わだを撮ったもので、遠くに見える山並みは比良山系です。"大わだ"とは、大きく湾曲したところという意味で、波の穏やかな琵琶湖では、内側に緩やかに湾曲しただけの入江が良港になりました。現代はその多くがご覧のようにヨットハーバーに変わっていますが、古代にあって、この唐崎の大わだも早手船の賑わう良港であったと思われます。
なお、唐崎の地は日吉大社西本宮の大己貴神が最初に現れた場所であって、琵琶湖を渡ってきた大己貴神に田中恒世という漁師が粟飯を供えたという伝説があります。4月に行われる日枝大社の大祭"山王祭"では、その故事にちなんで唐崎沖に船を出して「粟津の御供」の神事が行われます。
(記: 2009年6月1日)

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万葉集の風景 "View of Manyou" HP開設: 2008/5/1 頁アップ: 2009/6/1 Copyright(C) 2008 Kosharaku All Rights Reserved

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